夫婦
夫婦って不思議な関係だと思う。
私にとって夫は、友だちでもあるし、恋人でもあるし、同志でもあるし、運命共同体な感じもあるし、兄のような存在でもある。
すべてをさらけ出している感じもあるし、肝心なことを隠している感じもある。
夫の存在一つに地球上の人間関係が凝縮されているような気もする。
夫婦関係は、そのときの自分を表していると聞いたことがある。
夫にイライラする人は、自分に不満があって自分にイライラしている。
夫に優しくできない人は、自分に優しくできていない。
夫に向けた言葉は自分に向けた言葉だ。
それをわかっていると、今自分を大切にできていないなとか、私は今余裕がないなとか気付くことができる。
自分を大切にできると、夫の意思も尊重できるようになる。
もっとこうしてほしいなって思うこともずいぶん減った。
これも「嫌われる勇気」で学んだことだけど、「課題の分離」って、すごく大事なことだと思う。
私はここまでのことをできる限りやった、その先にどんな結果があっても相手の課題であるから、落ち込むことはない。
それがわかっていると、すべての問題は自分自身の問題であるから、夫に期待したり、文句を言ったりすることがなくなった。
夫の服が脱ぎ散らかされていたり、ごみがそのままになっていたり、勝手に飲み会に出かけてしまったりしても、私は私のできることをやるだけだ。
ただ、夫婦であるのだから、何か問題があるときは嫌だとか、悲しいとかそういう意思表示やコミュニケーションはしたいなと思う。
それを伝え合わなければ、ただの同居人になってしまうし、とてもさみしい。
好きだからこそ、わかってほしいしわかりたい。
夫婦関係は、人間力の向上の場だなとつくづく思う。
言葉との出会い2
続きです。
もう一つの言葉は、
「不安のなかで、安心してくつろぎなさい」
という言葉です。
心屋ともこさんのメルマガに登録しているのですが、その中の最後にあった言葉です。
心屋さんは、自分の中にある欠点などを、そのままにしていていいじゃない!と考えています。
悩みやすいことを悩むのではなく、悩んでる自分さえも受け入れてあげようと考えています。
人はなぜか自分で、自分の一部分を、マイナスなこととして捉え、悩みます。
私にもそういうところがたくさんあります。
なんで、仕事を長く続けられないんだろうとか、人と会うと疲れてしまうんだろうとか、子どもにイライラしてしまうんだろうとか。
自分を否定する言葉は、切りがなくあげられます。
そして、こういう落ち込んでいる時期に、都合よくそのことを持ち出して、どうして私は、、と悩みます。
心屋ともこさんなら、それさえも、そのままでいいんだよ〜って言ってくれそう。
たぶん、言ってくれる。
もうこの落ち込んでいる不安の中にいるまま、自分を安心させてあげよう。
その自分で悩んでいる、自分を否定する価値観は、どこで教えられたものなのだろう?
絶対的なことなんてこの世には一つもない。
私が善としていることは、この地球の誰かからしたら、悪だ。
人を殺すことだって、どこかの宗教の人からは当たり前のことかもしれない。
絶対的な善なんてあるだろうか。
自分で勝手に決めて、自分で自分を否定して自分を傷つけているだけだ。
もう30年以上こんなこと続けてるんだから、もう終わりにする。
悩みやすい自分、疲れやすい自分、イライラしやすい自分、うまくやれない自分、全部全部まるごと認めよう。
いいんだよ、うまくできなくても。
いつも不安でいてもいいんだよ。
そしたらもっともっと、人にだって優しくできる。
私は、自分にも人にも優しい人間になりたい。
ことばとの出会い
昨日、わけもなく落ち込んでる話を書いたけれど、希望を見いだせるような言葉に2つ出会ったので、そのことについて書き記そうと思います。
1つ目は、「自己受容」。
何度か読んでいる「嫌われる勇気」というベストセラー本に出てくる有名な言葉だけれど、今の私にぴったりの言葉だった。
「自己肯定感」とか「自己肯定」とかの言葉は、よく好意的に捉えられるが、筆者は否定している。
「自己肯定」というのは、テストで60点とったときに、いや、私の実力はもっとある!と捉える。
それに対して、「自己受容」というのは、60点とったときに、今の自分としてはよくやった!次はもっといい点がとれるようにがんばろう!と60点の自分も認めてやることだそうだ。
私の人生は、これまで思い通りにならないときに、いや、こんなはずじゃないのにと捉えることが多かった。
ミスしたときも、ちょっとたまたまな感じを出して、本来はできるんです!と心の中では思っていた。
つまりだめな自分を認めてこなかった。
ミスをしない人なんていないのに、ミス=だめなこと、という図式を作り出していたのは、自分自身だった。
今までの過去の自分に、謝りたいような気持ちになる。
ミスをしてこそ人間だし、それが私自身なのに。
たった一人の私のことを、いつもいつも認めて受け入れてあげなかったのはこの私だ。
何度も読んでいるこの本なのに、今回読んでみて、心の中にストンと落ちて、なんだか泣きそうになってしまった。
今までごめんね。そのままでいいんだよ。と自分に声をかけてやりたくなった。
もうミスしても隠さないし、ごまかさない。
誰にも言えなくても自分にだけは嘘をつかず、今のままの自分を受け入れる約束を自分とした。
長くなってしまったので、もう一つの言葉は次の記事に書きます。
気分の浮き沈み
明確な理由がなくても気分に浮き沈みがあるのは私だけだろうか。
特に大きな出来事がなくても、なんとなく暗い気持ちになって、気分が晴れない日がこのところ続いていた。
ホルモンのバランスなのか?子どもが風邪を引いていて一人の時間がとれていないからか?日が沈むのが早くなって寒くなったから?
どれも当てはまる気がするし、そうでない気もする。
思い当たる確かな理由がないのに、ただただ暗い気持ちになって辛い。
未来も明るいものに思えないし、生きていてもどうしょうもないような悲しい気持ち。
自分という人間が何の役にも立たず、これから先どう生きていていいのかわからない。
それなのに、生きるのには食べなければならず、お金だけがかかっていく。
静かに淡々と生活していれば、いつか必ず自然とはい上がれるときが来ると信じているけれど、それまでが辛い。
でも今日明るい兆しがあった。
買い物をしたらお会計が777円だったこと。
そういうささやかな希望の光がなんとなくうれしい。
だんだん運気が上がっていく希望が見えたような気持ちがした。
少しずつ少しずつ、この暗い気持ちが晴れていって、年末は明るい気持ちで過ごしたい。
一人時間に考えていること
下の子が3歳になり毎日幼稚園に通うようになった。
日中の4〜5時間だが、自由時間ができた。
そうすると、自分と向き合う時間ができて、またブログを書きたくなった。
今までは本当に余裕がなくて、自分のやりたいこととか考えることもできなくて、ただ毎日こどもたちが無事に生きて何事もなく終えたいと思ってきた。
それは今もほとんど変わってはいないのだけど、最近は私のやりたいことってなんだろう、何がすきなのだろうっていつも考えてはノートに浮かんだことを書き殴っている。
そして、また自分でお金を稼いでみたいなということも思い始めている。
まずは、暮らしに関することが好きということ、家事とか家にまつわることが好き。
派手なことは苦手で、大勢の人と関わったり、他者と何かをするということも向いていない。
だから一人黙々と家事をするのはとても好きだ。
昔はバリバリの運動部で厳しい部活に所属していたけれど、いい思い出は一つもない。
スイックなことも苦手。
自分のペースでできて、小さな達成感を感じられるような仕事が何かあればなーと思っている。
かと言ってキャパシティが小さいので、仕事を始めたらいっぱいいっぱいになって、子どもに優しくできないことも想像できる。
だから、私が仕事を始めるタイミングってすごく難しいなあと今は思う。
時間ができると早く何かを変えたい気持ちになるけれど、今は焦らず周りと比べず、自分の時間をめいっぱい楽しみたい。
ニュースから考える
今日から10月だ。
雪の季節にドキドキしながらも、今年はこの辺りもまだ暖かくうれしい。
今建築中の家もどんどん出来上がってきて、大工さんの仕事の速さに驚いている。
広い家と広い庭で子どもを遊ばせてあげられると思うと楽しみだ。
そんな楽しみでいっぱいの私だけれど、最近芸能人の悲しいニュースが続き、同じ二人の子どもを持つ親として感情移入してしまい、辛くなった。
子どもを残していかなければならないほど、追い詰められたお母さんの気持ち。
一番の拠り所のお母さんに先立たれたまだ10代の男の子の気持ち。
お母さんを認識できるようになって、朝から晩までお母さんを求める赤ちゃんの気持ち。
妻に先立たれ、まだ慣れない子育てをしなければならない新婚の夫の気持ち。
誰の立場から見ても、悲しみしかない。
理由は誰にもわからないし、本人さえもわからいままかもしれない。
ご本人の幼い頃の家庭環境を聞くと、その辺りにも少しは原因があるのかなと少し思う。
充分に愛に満たされた環境で育てられなかったとき、人の心はいつも何か欠けた状態になるのかな。
大人にって外から見たら誰にも気づかれないとしても、いつもどこかで何かを追い求めている。
それが本人も気づかないほど、体や心を酷使して削られていく。
そして、ポキっと心が折れたとき、生きていられなくなってしまうのかななんて、想像するしかないけれど。
結局は人は自分で自分を救うことしかできない。
ないと思ってたものは実はあったということに、自分で気づくしかないのだ。
私のようにごく普通の家庭でごく普通に育っていても、満たされない何かモヤモヤしたものはずっと心にある。
でも、年をとって、自分の心との向き合い方も少しずつわかってきた。
子どもより、親より夫より何より自分を最初に満たすこと。それが最優先だ。
いつも自分の心に、今何がしたい?何がほしい?と問いかけること。
大きな夢とか目標ではなくて、そういう日々の積み重ねが、自分の人生を作っていくのだと信じている。
家のこと
今年の4月くらいから家を買うことに決めて、中古物件や新築の建売などいろいろ検討して、最終的には安い田舎の土地に新しく家を建てることに決めた。
来年に入ってすぐには建つらしい。
前々から家がほしいとは思っていたけれど、コロナや転勤や子どもの成長などいろいろなことが合わさってこのタイミングで家を買うことになった。
よく買うかどうか悩んだときに、本当に必要なものは買かどうか悩まない、なんてことを聞くけれど、まさに家がそうだった。
トイレットペーパーやティッシュのように必要だから当たり前に買う!と言ったかんじ。
家のためにまとまった貯金は特にしてなかったし、土地やハウスメーカーのリサーチだってもっと長い時間かけてするのかもしれない。
でも我が家にはこのいきおいがよかった。
土地も広く子育てに良い土地をタイミングよく見つけられた。
ネットでまちがえて坪数が掲載されていた物件で偶然気づいて見つけることができた土地だった。
ハウスメーカーの方もとてもよくて、不安が全くない。
今は基礎工事が着工されて、内装など最終段階のところを決めている。
インテリアが好きな私に夫は自由に決めさせてくれるし、とても楽しい。
流れとか直感を大事に物事を決めるっていいなと思った。